2012年 06月 22日
6月某日 |
薄墨の空続く霖雨の日々。
長閑に過ぎゆく時間。
午前中の人もまばらな道を歩く。
今朝方迄降っていた雨はやみ、湿気を帯びた空気が視界を曇らせる。
視線を空との境界線に上げ、繁る緑を眺め、
白くぼんやりと霞んでいながら、その陰影を際立たせるセカイを歩く。
視線を下げれば、
数十メートルから数メートルごとの植え込みに、紫の濃淡、あじさい満開。
鼻をくすぐる梅雨と植物のかおり。
時季毎の愉しみ。
メリケンへの道、愉しい散歩道。
(メリケン、波止場でもサックでもなく、メリーゴーランド研究所。
勤務先であり作業場であり憩いの場でもある)
メリーゴーランド完成目前の打ち合わせの為、ボスは伊へ出張中。
独り、友人のキムチ屋への新規開店祝いのA看板を制作。
だいぶ時間もかかってしまい、多少不細工…ですが、
愛情こめて、商売繁盛の念もこめ、筆をハシらせる、いや、アルかせる。
スピーカーから流れるは soul crap のリディムアンドブルーズ。
いつからか、人臭いこのサウンドに夢中。
時代がかった質感のかわいた音。
うちがわがやわらかくざらつく。
バーチャル全盛の21世紀、車に家にババアの顔に、
なんでもかんでも、つるっつる気味の昨今、このざらっと感が堪らんのです。
少女の頃の様に同じアルバムを何度も何度もリピートし、口ずさみ、
描くキムチの朱い文字。
切なげなイントロからの「No time to lose」の郷愁に、
いつも胸の奥がそわそわ震え締め付けられ熱く苦しく、想いは溢れる。
そして、うちがわがやさしくざらつく。
サウンドに浸り、看板に文字を描きながら、亡き放蕩親父を思い出す。
オフィス家具のデザイナーだった父。
若かりし頃は店舗のカタログデザインで副収入を得ていたらしい。
アナログ時代のデザイナーの描く文字が大好きだった。
運動会のゼッケンに描かれた美しい数字は、
体育の苦手だった私にとって、恥ずかしくありながら自慢であった。
下書きナシ、直線も曲線も、見事であった。
描く姿も憧れだった。
こうして看板に文字を描きながら、
美しい直線と曲線を生み出すコトの困難と向き合い、父への追懐とも向き合う。
変わりモノの頑固モノは、ほぼウチには居なかったけれど、
彼が与えてくれたモノの多くによって今の私があるコトは間違いない。
父のお気に入りだったグレンチェックの上着。
明るい茶に濃い臙脂と緑のチェックの上着の肘あてのスエードのざらざらの質感。
茶色のやさしいざらざら。
馬車道の白い画材店、伊勢佐木町の大きな本屋、駅ビルの茶色のピザ屋、
二人だけの時間。
思い出の父がいつも着ているあの上着のスエードの肘あてをおもいながら、
看板に文字を描き続ける。
「No time to lose」が親父の肘あてのように、やさしくこころにざらつく。
日暮れ前に作業を終了。
いつのまにかの霧雨。
表でくつろいでいた野良猫は何処かへ避難したようだ。
仕上げにあと1日、といったトコロか、作業は順調にすすんだ。
歩いて帰るか、バスに乗るか、片付けしながら思案する。
アレから、意識的の省エネ生活。
出来る限りのアナログ生活。
歩きまくりの毎日。
何をするにも時間がかかるが、それでも気分はよいモノだ。
窓の外、降る雨眺め、
どうにもできない空模様、どうにもならない洗濯事情を考える。
梅雨だねぇ…。
呟きながら、
あらためて6月半ばを過ぎているコトに気付き、
親父の命日を数日過ぎているコトにも気付いた6月某日。
仕上げ前、完成まであと一歩☆
ちなみにB面は黒板仕様♪
by reggaeyaeiko
| 2012-06-22 21:36
| おもう